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ウブドのほほん日記

バリ島のインターナショナルな田舎、ウブドで暮らしています。日々の生活の出来事をのほほんと綴ります。

取材して頂きました。

しばらくブログをアップ出来てないな...と思い見てみると、もう3ヶ月も更新していませんでした。こんなに長い間アップしていないと、一体何の話題で復活して良いやらと考えていたら、増々アップが遅れてしまいました。

さて先日、アスタリスクが新しいガイドブックの取材をして頂きました。

地球の歩き方の新シリーズの新しいコンセプトのガイドブック「aruko」のバリ島版で「元気な旅好き女子を応援します!」というテーマです。

取材当日は、編集の方とフォトグラファーのお二人で、大変暑い中、とっても丁寧に沢山の商品の写真を撮影して頂きました。

今回取材していただいた内容は、ちょっと先になりますが、来年3月発売予定のバリ島版で紹介される予定です。お話では全内容、今回新たに取材したものだそうで、どんな本が出来上がるのか、とっても楽しみです!

撮影

  1. 2010/10/30(土) 21:34:39|
  2. 未分類

我が家のことば事情

この1ヶ月強、娘のベビーシッター兼、お手伝いさんが最初の2週間はデング熱で入院の為、残りの2週間はご家族のガベン(火葬式)の準備の為という、とってもバリらしい事情により、長期のお休みとなりました。そんなこんなで、バタバタと...、仕事以外で忙しい1ヶ月を過ごしていました。

さて、現在1歳8ヶ月になる娘、美雨はどんどん話ができる様になってきて、本当に面白い。バリに住んで、約9年の私ですが、インドネシア語は、なんとかできますが、こちらのローカルの人同士で使われるバリ語は、聞いててちょっと(10%ぐらい?)わかる程度で、ほとんど話せません。そして、私と結婚して約3年半の旦那と言えば、日本語は私のバリ語以下でほとんどできず、私達夫婦の会話はもっぱらインドネシア語です。

こちらバリに住んでいない方にはピンと来ないかもしれませんが、バリ語はバリ島で話されている言語。普通の家庭内、バリ人同士の会話はほとんどバリ語。なので、私のお店のスタッフ同士や、職人同士、そして旦那の家族などが話している内容は、実は私、ほとんどわかっていません。わからなくていい事も多いかと思い、また、すでにインドネシア語で精一杯なので、特に私はバリ語を勉強しようという気にはなれません。しかしながら、ちょっと私がバリ語を話すと、まわりのバリ人はバカウケするので(外国人がバリ語を話すのは、彼らにとってはそうとう面白いらしい)、たまに、適当にバリ語の知ってる単語で受け狙いで話す事もありです。

そしてインドネシア語は、インドネシア全体に広がる島々の共通語として使われ、小学校に入ってからは、普通の学校ではインドネシア語を使って勉強する事になります。そしてバリ語とインドネシア語はかなりかけ離れていて、全く別の言語です。

話はそれますが、意外と知られていないのが、インドネシア語と、マレー語は、ほぼ同じ言葉なので、マレー語を使う、マレーシアとブルネイでは、インドネシア語で普通に会話ができるということです。最近は、ほとんど英語が主流になったマレー半島の先端にあるシンガポールでも、年配の50代以上の人たちとは、インドネシア語でも普通に会話できちゃいます。

話は元に戻り、バリ人同士の夫婦の子供は、もちろんバリ語で話す親が多いかと思いますが、片親がバリ語、もう片親がインドネシア語で話すというパターンも、結構あります。そして、デンパサール方面の街の方では、バリ以外の島から移住して来た人たちが多い環境なので、バリ人でもインドネシア語のみで話すという親もいるみたいです。

美雨がもっと小さい頃に、旦那と何語を教えようかと話した事があり、私の日本語はもちろんですが、旦那は、やっぱりバリ人だから、バリ語だ~!と言うので、日本語とバリ語でいこうと言う事になりました。インドネシア語はいずれは学校で習うことになります。

という事で、私からは日本語、私以外の人たちからはバリ語で話しかけられている娘。自然と、人の顔を見て、私には日本語で、旦那をはじめとする他の人たちとはバリ語で話しています。バイリンガルとはこういう風に育って行くのかと、見ていて興味深いです。そして、娘が話すバリ語を通して私もバリ語を少しずつ学んでいますが、昨日はベビーシッターさんとこんな会話をしていました。

ベビーシッター:バボォ イジョー? (パパはどこ?)

娘: ムガイ (お仕事)

ベビーシッター:アレ アポー? (何を探してるの?)

娘: アレ ピス (お金を探してるの)

ベビーシッターさんからバリ語の意味を教えてもらって、初めて自分の娘がバリ語でどんな会話しているのかわかりました。小さい子供に面白がって、こんな事教えて~~~!って思いましたが、とってもバリ人らしい会話なので、大笑いしてしまいました。もうちょっと上品なバリ語も教えて欲しい物です。 

日本語も今のところ、2語から3語ぐらいの文章で話すのですが、どうも今のところバリ語が優勢のようです。

パンタイ

ギャニャールのマスチェッティ・ビーチにて。


  1. 2010/07/29(木) 17:22:17|
  2. 未分類

かき氷

小さいとき、神戸の実家のお隣は台湾人ファミリーで、家のお向かいには、インド人ファミリーが住んでいました。

そして、お隣の台湾ファミリーからよくご飯のお裾分けを頂きました。私と弟が中華料理が大好きなのはひょっとしたら、その影響なのかもしれません。お裾分けで頂いた中でも、特に好きだったのが色んな具の入った、もちもちっとした中華ちまき。そして、ちまきの葉っぱで包んでいない,中身だけを「油ご飯」とお隣さんは呼んでいて、ちまきか、油ご飯を頂いた時は、とっても嬉しかったのを思い出します。

なぜか急にちまきが食べたくて、お昼に久しぶりにウブドの台湾カフェ、China Moon(チャイナ・ムーン)に行ってみました。目的のちまきは、懐かしいお味でした。そして食後に、かき氷のエス・チャンプルを注文してみました。

かき氷

ゴロゴロした氷の上に、ナタデ・ココ、かき氷には意外な組み合わせのコーン、ゆでピーナッツ、金時豆みたいなお豆、黒米、メロン、すいか、パイナップルと、盛りだくさんのトッピングが豪華で、目にも楽しい。このお豆類のトッピングが台湾風なのかな?かき氷にマッチしててとってもGood!

ウブドで、これは美味しい!と、思える物に久々に出会いました。
場所はジャラン・モンキーホテルと、ジャラン・ハノマンのぶつかる三叉路の横です。

ところで、いつか日本に帰国する時、チャイナ・エアーか、エバー航空に乗って、台北でトランジットして、食べ歩いてみたいな。

  1. 2010/06/25(金) 01:42:49|
  2. 未分類

ごめんね。ちょっと笑える。

よく行くウブドの携帯プルサ(プリペイドカード)屋さんの近くで、こんなかわいい看板を発見。今時、こういうの少なくなったと思ってたんですが、一応意味が通じるからOKですよね!? 

看板

そういえば以前、ホーチミンで泊まったホテルのベトナム語、英語、日本語表記のレストランのメニューの日本語訳が爆笑物でした。

ココナッツの殻にビーフの煮込みが入った料理で、ココナッツの殻が炎に包まれて出て来る料理の英語名は
「beef in flame」。この日本語訳が、なんと「燃え上がって牛肉」。まあ、ある意味、燃え上がっていますがね。

英語で「catfish」とは、ナマズの意味ですが、その日本語訳は「ねこ魚」。思わずバカボンの、うなぎ犬を思い出してしまいました。

「sauteed sole」、舌平目のソテーの意味ですがそれが「くつ型魚の焼き」。sole は確かに、靴の底でという意味もあるので言いたい事はわかる。でも「何で焼き」でおわっちゃうの? とそれぞれのメニューに突っ込みを入れてしまいました。

ちゃんとワープロで変換してプリントされていましたので、おそらく日本語をまあまあかじった事のある人が翻訳したんだと思われます。一生懸命に翻訳したんだろうけど,笑ってごめんね。でもかなり笑えた。

こんな事を書いていると、久々にベトナム料理が食べたくなって来ました。バリで本格的なベトナム料理屋さんがあったら、頻繁に通うんだけどな。
  1. 2010/06/20(日) 00:51:12|
  2. 未分類

始まりましたね。

始まりましたね。ワールドカップ。
サッカーにそんなに興味の無い私には、あんまり関係のない話ですが、こちらバリの男性達も日本と同様大変盛り上がっています。インドネシアは参加していませんが、韓国、日本とアジア勢に力を入れて応援している人多しです。

日本では、今では知らない人はいないと思われるワールドカップですが、そういえば昔、何も知らなかった私はすごい事に巻き込まれていました。

ちょうど20年前の6月頃だったか、ロンドンで約1年間、学生をしていた私は学校が終わった後、せっかくだから帰国前にヨーロッパを回って帰ろうと、ロンドンで知り合った友達と、1ヶ月間有効のヨーロッパ周遊の鉄道パスを買いました。まずはパリへ飛行機で飛んでそこからバックパッカーの旅を始めました。

昔のパリは、今みたいに英語を話す人も少なく、皆さん「フランスへ来たのならば、おフランス語を話しなさい。」という感じで、道を尋ねたおまわりさんまでにも、とっても冷たくされてしまったので、フランスにはさっさと見切りを付けて、フランスを南下して、イタリアを目指しました。

20年もの前の話でうろ覚えですが、イタリアでまず列車を降りたのが、ミラノの駅だったと思います。ヨーロッパは陸続きなので、駅にはヨーロッパの色んな国から列車が到着しますが、まず駅に降り立ったら、なんだかすごく殺気だっていました。駅のいくつかのプラットホームに到着したばかりの列車からは、ラッパや太鼓をならしながら下りて来る、興奮した人たちがわんさかいて、もみくちゃになり、駅のインフォメーションで、ユースホステルの部屋を予約をしようとしても、どこもかしこもほぼ満室で、なかなか部屋が見つからず...。

ミラノを出た後も、フィレンツェ、ローマと、行く先々の駅はわんさか人で溢れ帰り、泊まる宿を探すのにとても苦労しました。

なんとか空室を見つけた、フィレンツェの郊外のユースホステルに泊まっていたときに、日本人のバックパッカーの男の子達が2人泊まっいて、そのうちの一人と食堂で出会って話をしてみると、どうも彼は日本の大学生で大のサッカーファン。大きなサッカーの大会がイタリアで行われてて、それをわざわざ学校を休んで見に来ているとの事。そしてもう一人の男の子は、サッカーの会場をイタリア中、自転車で回ってて、先日こけて大きな怪我して療養中との事でした。なんで、日本からわざわざイタリアまでサッカー見に来てるんだ~?と、その時は思ってしまいましたが、今、思えば、それはワールドカップだったんですね!

日本でまだJリーグも無かった時代。そもそもワールドカップなんて、知らなかった私達はイタリアでワールドカップの人ごみで巻き込まれまくっていたのでした。ワールドカップがどれだけ世界の人たちが熱狂しているかと知ってたら、わざわざそんな時期に開催国へ旅しませんよね。無知って恐いですね~。

比較的涼しいロンドンからフランスを通過してイタリアに入った私達は、イタリアの暑さに参ってしまい、友達が先にフィレンツェで、追って私がローマでばててしまい、イタリアはかなりゆっくりと滞在しました。ローマの後は、とっても印象的だったヴェネチアに行き、その後オーストリア、ドイツへ回りました。

そしてベルリンでのある夜の事。なんだか外がとっても賑やかで、一晩中、爆竹が鳴り響いて寝れないほどでした。次の朝、一体、昨日の夜は何だったんだと宿の人に聞いてみたら、サッカーの試合ででドイツが優勝したんだとの事! そりゃ自国のチームがワールドカップで優勝したらお祭り騒ぎだわと、今となっては納得の私です。

ところでロンドン滞在中は、大きなサッカースタジアムのウェンブリーアリーナの最寄り駅のある同じ路線の沿線に住んでいたため、地下鉄の車内でフーリガンに揉みくちゃになった事も、何度もありましたわ。はっはっは。ま、これも青春かと。


籠や

写真は本文と全く関係ありませんが、ウブド郊外で見かけた可愛い鳥かご屋さん。鳥かごは可愛くって、バリの旅行の想い出に買って帰りたい人多いんですが、なにせかさが高いので、あきらめる人多しです。

  1. 2010/06/14(月) 09:40:02|
  2. 未分類
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